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- 2020年度卒業論文要旨
塩川 純
アイヌ語テ・アタアランギの実践
【キーワード:アイヌ語、テ・アタアランギ、二風谷、言語人類学、対話、物語、私物化】
序章で述べる本研究の目的は、先生と生徒の発話やモノを含む総体的なやりとりを分析することで、テ・アタアランギにおいてどのような学びの場が創造されているのかを明らかにすることである。調査を通じて、少数言語としてのアイヌ語研究に言語人類学の立場から寄与することを目指す。
第2章では言語と文化の関わりについて民俗誌的なアプローチで研究する、言語人類学の潮流について概観する。その中で現実のコミュニケーション(伝え合い)を「ことば」と「ことば以外の要素」が複雑に溶け合ってなされたものとして捉える立場が形成されてきたことに注目する。本研究でもこのように「言語」よりも広い意味での「ことば」の学習としてテ・アタアランギを捉える立場をとる。
第3章では、研究対象であるアイヌ語について、和人との関わりの中での衰退と、アイヌの手による復興活動の歴史的な経緯を述べる。また、サイレントウェイという別の教授法を応用してマオリの女性により考案されたテ・アタアランギと、調査地である北海道平取町字二風谷についても概要を述べる。
第4章では、調査の概要を述べる。平取町二風谷におけるテ・アタアランギの参与観察や講師へのインタビューなどのフィールドワークのほか、マオリ語テ・アタアランギ経験者へのインタビューを行った。
第5章では、まず、マオリによって開発されたテ・アタアランギをアイヌ語に応用するための活動経緯を説明する。その後、二風谷におけるテ・アタアランギが、メンバーの流動性などの課題を抱えながらも続けられていることを、調査時の実施状況として述べる。
第6章では、アイヌ語テ・アタアランギのレッスンが実際にどのように進んでいるのかを分析する。レッスンは先生が発話した例文を生徒が反復することで成り立っている。しかし、ただ例文の暗誦によって話せるようになるわけではなく、「わからない」という生徒からの意思表示や生徒の理解度を随時把握する先生によって対話的、即興的に例文が形成されたり、ブロックやジェスチャー、物語の筋など様々な道具により理解が助けられている。
第7章では、バフチンの”appropriation”という用語を応用し第二言語習得の過程を「私物化」と捉える西口(2015)の論を説明し、その上で他者との対話であるテ・アタアランギが、そこで交わされた言葉に関しての自己との対話とそれによる独自の解釈を含んだ「私物化」になっている可能性を述べる。
第8章では結論を述べる。6章で述べたように物語の筋が理解を助けており、物語が進められていく過程は対話的なものである。その意味でテ・アタアランギで発話されることばは「復唱」や「暗誦」のように「となえる」性質だけでなく、「語る」、さらに「語り合う」性質をもっている。語り全体としての内容はそのまま日常生活に応用できるものではないが、それが例文に分解されて様々な道具により理解されることで、まったく違う場面でもテ・アタアランギで覚えたことばを使えるようになる。テ・アタアランギを「私物化」と呼ぶのは、ことばを覚える過程における、本人の内的な変化を重視するためである。そこには、ただそのことばを用いるコミュニティと交わることができるようになる、という以上の意味があるように思われる。